石田和幸(享年71)
1946年、和歌山県白浜町出身。
19歳で東京都に上京し、鉄道会社に就職。その後、24歳で結婚し3人の子供を設ける。
定年後は和歌山に戻り、妻と二人で生活していたが2018年9月15日、自宅の床下で死亡しているのが発見された。遺体の頭部には耳と耳を繋ぐように白樺の枝が刺さっており、周囲には青色の粉が散乱していた。
19歳で東京都に上京し、鉄道会社に就職。その後、24歳で結婚し3人の子供を設ける。
定年後は和歌山に戻り、妻と二人で生活していたが2018年9月15日、自宅の床下で死亡しているのが発見された。遺体の頭部には耳と耳を繋ぐように白樺の枝が刺さっており、周囲には青色の粉が散乱していた。
岡島奈津(享年28)
1970年、神奈川県渋沢市出身。
兄弟はおらず一人っ子。地元の高等学校を卒業した後、フリーターとして近隣のスーパーマーケットで働いていた。1996年6月2日の午後4時過ぎ、退勤した後に行方不明になる。手がかりは一切見つからず、1年後に捜査は打ち切りとなる。しかし、翌年の1998年7月21日夕方、突如自宅に一人で現れる。帰宅時の恰好は丸坊主に青染めの絹を纏っていたという。
家族によると「なにごともなかったかのように」家にあがり、夕食をとったのち就寝。しかし、翌日の昼頃、血相を変えて寝室から台所に駆け込み、塩を口いっぱいに頬張りながら何かを叫んだのち気を失って倒れる。病院に搬送されたが、二時間後に病状不明のまま死亡した。
兄弟はおらず一人っ子。地元の高等学校を卒業した後、フリーターとして近隣のスーパーマーケットで働いていた。1996年6月2日の午後4時過ぎ、退勤した後に行方不明になる。手がかりは一切見つからず、1年後に捜査は打ち切りとなる。しかし、翌年の1998年7月21日夕方、突如自宅に一人で現れる。帰宅時の恰好は丸坊主に青染めの絹を纏っていたという。
家族によると「なにごともなかったかのように」家にあがり、夕食をとったのち就寝。しかし、翌日の昼頃、血相を変えて寝室から台所に駆け込み、塩を口いっぱいに頬張りながら何かを叫んだのち気を失って倒れる。病院に搬送されたが、二時間後に病状不明のまま死亡した。
唐澤充(享年34)
1986年、岡山県真庭市出身。
父親の跡を継ぎ、酒屋を経営。同級生の女性と結婚し男児を一人設ける。2020年4月28日、家族に「○○に会ってくる」と言い残し外出。妻も長男も「○○」はよく聞き取れなかったという。翌朝、あぜ道で死亡しているのを近隣の住民が発見。司法解剖の結果、死因は薬物による中毒死と判明したが、自宅、および所持品からその薬物は一切発見されなかった。
死亡から一週間後、自宅に送り主不明の手紙が届いた。そこには、唐澤夫妻の長男が学校で陰惨ないじめを行っていると告発する内容が書かれていた。
父親の跡を継ぎ、酒屋を経営。同級生の女性と結婚し男児を一人設ける。2020年4月28日、家族に「○○に会ってくる」と言い残し外出。妻も長男も「○○」はよく聞き取れなかったという。翌朝、あぜ道で死亡しているのを近隣の住民が発見。司法解剖の結果、死因は薬物による中毒死と判明したが、自宅、および所持品からその薬物は一切発見されなかった。
死亡から一週間後、自宅に送り主不明の手紙が届いた。そこには、唐澤夫妻の長男が学校で陰惨ないじめを行っていると告発する内容が書かれていた。
三池仟吉(享年7)
1920年、青森県旧・江賀此村出身。
地主の長男として生まれた。幼少期から外へ出ることを嫌い、自室で乳母と遊ぶことが多かったという。父親は「おとこのくせに、めそめそと弱虫で、おなごのように人形などいじりよる」という、嘆きのような言葉を日記に残している。
1927年5月、自室の隣にある六畳の部屋で、首を吊って死亡しているのが発見される。
地主の長男として生まれた。幼少期から外へ出ることを嫌い、自室で乳母と遊ぶことが多かったという。父親は「おとこのくせに、めそめそと弱虫で、おなごのように人形などいじりよる」という、嘆きのような言葉を日記に残している。
1927年5月、自室の隣にある六畳の部屋で、首を吊って死亡しているのが発見される。
田村佳代子(享年?)
1980年代後期、芸能事務所・ユーヒプロダクションに「江藤ミサ」というタレントが所属していた。グラビア写真集、イメージビデオなどを発売した後、1991年2月に失踪。翌1992年3月20日、東京都墨田区で女性の遺体が発見され、血液や指紋などから江藤のものであると判明した。司法解剖の際、十二指腸の中に青色の粘液が詰まっているのを医師が発見。どのような経緯で体内に入り込んだかは不明である。
後に、江藤の本名が「田村佳代子」で、新潟県出身であることが友人への聞き取り調査により判明したが、それ以外の情報は何もわかっていない。
1999年6月にユーヒプロダクションの元社長・佐巻寛二が妻を殺害した容疑で逮捕されるが、黙秘を貫いたまま拘置所で自殺。現在、ユーヒプロダクションは閉業している。
後に、江藤の本名が「田村佳代子」で、新潟県出身であることが友人への聞き取り調査により判明したが、それ以外の情報は何もわかっていない。
1999年6月にユーヒプロダクションの元社長・佐巻寛二が妻を殺害した容疑で逮捕されるが、黙秘を貫いたまま拘置所で自殺。現在、ユーヒプロダクションは閉業している。