アヤカが死んだ。

大切なアヤカが。

上京して美大に行って……

明るい未来が待っているはずだった

なのになぜ……死ななければいけなかったのか

殺されなければいけなかったのか

許さない

絶対に

 

これはWi-Fiの広告記事です※ しかし同時に、危険な真相を孕んだ回顧録でもあります。 あなたは正しい選択をして、彼女の命を救うことができるでしょうか?

※初稿の文章をそのまま掲載しています

 

2021年6月10日

 

回顧録1:榎本美月

三杉彩夏は幼稚園からの友達だ。
今年の春から東京の美術大学に通うため、一人で上京した。
一方、私は受験に失敗し、地元で浪人生をしている。

浪人生……

本当なら、同い年の大学生の相談に乗ってる場合ではない。
でも私には、どうしても彩夏を放っておけない理由がある。

彩夏は可哀そうな子だ。
小さい頃に両親が離婚し、父親に引き取られ、男手ひとつで育てられた。

彩夏のお母さんのことは良く覚えている。
優しくておとなしい人だった。家に遊びに行くと、いつもオレンジジュースを出してくれた。
なぜか彼女は、真夏でも長袖のブラウスを着ていた。

その理由は、ある日彩夏がそっと教えてくれた。

「パパがね、ママをいつも殴るの」

彼女の腕には、きっと無数の痣があったんだろう。

私たちが小学校3年生に上がった年、彩夏のお母さんは逃げ出すように家を出たらしい。
娘を置いて行ったことは、彼女なりの優しさだったんだろう。今になればわかる。

専業主婦で職歴のない女性が一人で子供を育てることがいかに難しいか……そんな話はSNSでよく見る。

実際、父親は彩夏をしっかりと育て大学まで行かせた。立派だと思う。
お母さんの選択は、間違っていなかったんだろう。

でも、それが彩夏の幸せだったのかは、わからない。

お母さんがいなくなってから、今度は彩夏が半袖を着なくなった。
暴力の矛先は、彩夏に向いたんだ。私は子供ながらに理解した。

でも、私は何もできなかった。
彩夏を助けるには、子供の私はあまりにも非力だった。

非力……いや、非力なのは大きくなってからも、だ。

高校三年の夏、クラスで事件が起きた。
彩夏の机に、大量の紙が貼られていたのだ。

「死ね」「消えろ」「ブス」

そこに書かれた汚い文字が、今も頭にこびりついている。
そして、それを貼った犯人を、私は知っていた。

その日の早朝、すでに引退した部活の朝練に差し入れをした私は、まだ静かな校舎へ入った。
教室の入口まで来ると、中に誰かがいることに気づいた。

犯人は廊下から眺める私に気づく様子もなく、一心不乱に罵詈雑言を書きなぐっていた。

とめるべきだっただろう。事情を聞くべきだっただろう。
でも、私は逃げた。自分が当事者になりたくないあまり、見ないふりをして廊下を引き返した。

その後、クラスで落書きが話題になっても、私は決して犯人の名前を口にしなかった。
怖かったのだ。

今でも当時のことを思い出しては、自分の弱さを憎んでしまう。
その罪滅ぼし、というわけではないけど、こうして彩夏とこまめに連絡を取ることは、義務のような気がしている。

 

     

 

2021年6月12日



そのとき、私の部屋にも小さな虫が入り込んできた。
古い網戸のほつれを通って。

 

2021年6月22日



回顧録2:榎本美月

今は、彩夏には思い出してほしくない。

去年の夏の、とてもいやな記憶。

柿沢さんは私たちの同級生だった。
彩夏と同じ美術部で、絵が上手くて、美人で、頭が良かった。

その上、彼女には偉大な兄がいた。同じ高校に通う柿沢翔太は、生徒会の中心メンバーを務める一方、テニス部では全国大会に毎年出場していた。

完璧な兄を持つ、美しい妹。

「スクールカースト」……あまり使いたくない言葉だけど、彼女は確実に上位の存在だった。
そんな彼女がなぜ……

なぜ、彩夏の机に悪口の張り紙をしたのか……クラスの誰もが不思議がった。

しかし事実として、彩夏の机に貼られた紙は、柿沢さんのノートから切り取られたものだった。







張り紙事件のすぐあと、彩夏は一人で担任に秘密を打ち明けに行ったらしい。

以前から、柿沢さんにいじめられていたこと。
張り紙の何倍も、SNSで悪口を書かれたこと。

担任がまだ経験の浅い新任だったからだろうか。
それとも、たとえベテラン教師でも、高校生の情報網を遮断することはできなかったのかもしれない。

彩夏の秘密の告発は、いつのまにか学年中に広まった。

いじめの犯人がカースト上位の柿沢さんだった、という話題がみんなの好奇心を刺激した。
やっかみもあったのだろう。いやがらせや陰口が彼女の目の前で行われた。

やがて、正義感に酔った男子が強引にノートを奪い取り、紙が切り抜かれた跡をクラスメイト達の前で晒した。

その日以降、柿沢さんは学校に来なくなった。
彼女が自宅で首を吊って亡くなったのは、一か月後のことだった。

それから、彩夏はずっと苦しんでいた。

「自分が黙っていれば、彼女は死なずにすんだかもしれない」





2021年6月25日



回顧録3:榎本美月

選択のときは、刻一刻と迫っていた。

   

6月26日

 

A.たしかに、おかしいね

B.一回落ち着こう?